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2007年 俳優オカノイタルにより旗揚げ

日本が中世より育んできた自然観

またその自然観より生じた身体性(足・丹田・呼吸)

及び空間感覚(簡素・余白・静寂)を捉え直しその現代性を模索

あらゆる価値が経済の物差しのみで測られる現代

その価値観が極まった果てに巨大な虚しさを見る

経済でははかれぬ豊かさを舞台芸術を通し提示してゆく

2012〜13年 ミリャン国際演劇祭 招聘

2014年 ソウルシェークスピアフェスティバル 招聘

2020年 言葉の景色旗揚げ YouTubeにて作品発表

2021年 カタリシリーズ開始

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〈旗揚げ公演 パンフレットより〉

お問い合わせ

karada07@gmail.com

昔、公演のため、とある国の、とある街に降り立った時のこと。
空港ではそれ程でもなかったのだが、市内へ移動するバスの中、

僕は皮膚に突き刺さる何かがどんどん大きくなっているのを感じていた。
街へ到着しバスから降りた瞬間、その何かは身体の奥の黒い塊と結びつき、僕に思い出したくない過去を思い出させた。

僕は瞬時にその記憶から立ち上がる強烈な怒りに支配された。

 

一歩、また一歩と僕は異国の街を、全身に怒りをまといながら歩き続ける。
怒りはほとばしる泉の様に幾らでも溢れ出る。
行き場のない暴力的衝動。
僕は拳を握りしめ、じっと前を睨み、歩き続ける以外他どうしようもない。
異国の街角に立つ銃を構えた兵士が僕を睨み付けている。
僕はその兵士が睨み付けている前で、その兵士の銃を借り、二人の男を、僕の想像の中で殺した。

 

街中が演劇祭に湧き立っていた。

大勢の人々が昼間から酒を飲み、笑い、踊り、唄っている。

それら陽気な喧噪が織り成すごった煮の中でさえ、僕の憎悪は微動だにしない。

憎悪は身じろぎ一つせず、真直ぐに立ち続けていた。

 

街の中央には広場があり、その広場には小さな舞台が設置されていた。

舞台を取り囲む人、人、人。

僕は何気なく立ち止まる。
舞台では、白いワンピースを着た女が一人、音もなく静かに踊っていた。
僕はワンピース一枚をまとっただけのその身体を見つめ続ける。
数分後、憎悪は消えていた。

 

過程を正確に言葉にすることができない。

しかし事実はこの言葉の通りである。

何気なく見つめていた彼女の身体に、僕の憎悪は中和された。


彼女は名高い舞踊家だったか、あるいは無名の貧しい舞踊家だったか。

それは今では判らない。

でもあの日、あの場所で、その現象が起きた。

僕にはその事実だけで十分である。

 

あの日、彼女の身体は、ある明晰さの中、明るく、静かに、絶望していた。

美しいと思った。

そしてその美しさの奥に、僕は強烈な孤独を見た。

同時に希望を見た。または希望の名残を。

鮮やかに飼い馴らされた孤独と、渇望し続けた希望の痕跡を。


彼女の身体と、広場を含めた街並みと、観客とが不可思議な融合を遂げ、

形容し難い非日常的な景色となり、穏やかに、夕暮れに押されてゆく。

 

僕は彼女のソロを「身体の景色」と名付けた。

そして僕がもし独立するようなことがあれば、僕は「身体の景色」と名乗ろう、と決めた。


彼女を見たのはもう十年も前のこと。

2007,12/26  オカノイタル

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オカノイタル:

演出家・鈴木忠志に師事 「ディオニュソス」「リア王」等に出演

14カ国17都市にて公演

2007年 身体の景色旗揚げ 以降構成演出を手掛ける

2012年 ミリャン国際演劇祭(韓国)にて演技賞を受賞

2020年 言葉の景色旗揚げ 以降短編小説のカタリを手掛ける

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